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週刊誌コラム

週刊朝日「大いに成るほど〜近代化遺産編」

安積疎水十六橋水門 : 福島県耶麻郡猪苗代町・河沼郡河東町

 安積疎水は猪苗代湖の水を安積の原野に引き入れ、豊かな穀倉地帯に変えた。疎水の建設が始まったのは明治12年、明治15年に完成した。設計はフランス留学から帰国の内務省勧農局の技師山田寅吉、この設計をオランダ人お雇い技師のファン・ドールンが指導した。

 工事は先ず郡山に向かう水の取り入れ口の湖水を隔て反対、会津側にある十六橋水門の建設から始められた。この水門によって、猪苗代湖の水の水位の調整を行うことができ、郡山への通水が容易になるのである。十六橋水門は16の石造のアーチでできた当時の日本ではきわめて長大な水門であった。現在の十六橋水門は大正2年に建設されたストーニー式の水門で、大正3年には電気式の開閉装置が完成した。

 安積疎水は福島県郡山市をつくりあげたと言われるほどこの地方に利益をもたらした。疎水建設を行った人たちの功績を地元の人たちは忘れず、昭和6年に十六橋のたもとにファン・ドールンの銅像を立てた。しかし、その後戦時色が強くなるにつれ銅などの資源が枯渇し、ファン・ドールンの銅像も供出せねばならなくなった。当たり前であれば、戦後は存在しない銅像。しかし銅像は密かに山の中地中深く隠され、平和が訪れた時代に再び姿を現したのである。

 現在、銅像は再び水門の脇に立てられ、明治の疎水建設の偉業を伝えている。安積疎水は農業を興しただけではなく、水力発電や水道用水として使われるようになった。

(掲載号:2007年11月09日号)