週刊誌コラム
週刊朝日「大いに成るほど〜近代化遺産編」
松ヶ岡開墾場蚕室
山形県鶴岡市の郊外に「松ヶ岡」という場所がある。ここには、明治の初期に建てられた巨大な「蚕室」が今も5棟建ち並んでいる。元々ここは月山の麓にあたり農業など行われなかった場所で、維新になってから、庄内藩の藩士達が刀を鍬に持ち替えて開墾した。
現在、その蚕室の一棟が「松ヶ岡開墾記念館」として見学できる。蚕室というのは、ここで養蚕を行い、また、蚕の卵を取るための施設。明治の初めそれまでの家禄が支給されなくなるのを見越して、庄内士族が生計を立てられるようにと士族たちが開墾し、桑を植えて蚕を飼い、当時最大の輸出品であった生糸を生産した。
当初(明治10年ごろ)は10棟の蚕室が建ち並んでいたが現在は5棟、それでも壮観である。この建物は、「上州島村式」だとされる。島村は現在、群馬県伊勢崎市に含まれ、利根川に沿った地域。ここに田島弥平という養蚕家がいて「清涼育」という画期的な養蚕方法を発明した。この方法は、屋根の上に更に「テンソウ」などと呼ばれる屋根を設けて空気の循環を良くし、蚕の病気を防ぐ方法。庄内の士族はこの島村式の養蚕方法を学ぶためにわざわざ仲間を田島のもとに派遣した。明治の初めに養蚕を通じて、群馬の島村と鶴岡は繋がっていたのだ。
この蚕室を建設したのは、高橋兼吉と言う大工棟梁。彼は現在致道博物館に移築されている旧西田川郡役所や旧鶴岡警察署などの明治初期の洋風建築がある。蚕室は彼が明治8年に5棟を完成させたと言われる。
(掲載号:2009年01月23日号)
